1860年代後期、東恩納寛量先生が沖縄から中国福建省福州へ渡り、南派少林拳リュウリュウコウ老師の内弟子となり、14年間にわたって中国武術を修行したのが始まりです。
東恩納寛量先生が中国から沖縄へ伝えた武術は、後に「那覇手」と呼ばれ、高弟の宮城長順先生に伝承されて、更に科学的、かつ普遍的合理性が加えられ体系化されました。
宮城長順先生は、1930年(昭和5年)中国福建少林拳白鶴門の伝書「武備志」所載の拳法八句にある「法剛柔呑吐」を引用して、自らの武術を「剛柔流」と命名されました
剛柔流の真髄は、宮城長順先生から高弟の新里仁安先生(第二次世界大戦で戦死)に、戦後は関門弟子(最後の正式な弟子)の宮城安一先生(剛柔流武術館 初代宗家)に伝授、継承されております。
|